あひる譚

いつかは世界一周が目標!今は日本で旅の練習中です。おしり重たく、よたよたと要領悪く失敗ばかりの、あひる的旅をしています。

那覇 Day3

那覇 Day3

本日の目的は

糸数アブチラガマ

斎場御嶽

波の上宮

対馬丸記念館

だったのですが、いつもの如く迷子になったので対馬丸は行けませんでした

 

まず、朝食はバスターミナルのコンビニで、453円なり

8時15分のバスに乗り、またしても、わっせわっせと見知らぬ道を不安に駆られながらガマを目指す

いつも思うのだが、なぜ近場にバス停を作らないんだろう?

 

修学旅行生がわんさか押し寄せていたので、11時にしか予約が取れなかったのだが、9時にはついてしまった

「もし、キャンセルがあったら早めにお願いします」と頼んでみたところ、10時15分に早めて頂けた

ありがたや

設置してあった、ひめゆり学徒らの本を読んでいるうちに、何とまた昨日のインドの御一行様がやって来た

政府派遣の、えらい人たちなのかしらね

勿論彼らは、車でやってきて、早めの予約でさっさと見学していったが

 

時間をもてあまし、すぐ近くのグスクを散歩しに行くことにした

 

糸数城跡

 

今のところ、これがオイラの一番のお気に入りのグスクです

 

 

青空の下、700年前のグスクが姿を現した

ちなみに、このグスクは、荒れた感じがオイラの心を震わせた

なかなか、ロマンがあるではないか

 

 

タツムリの殻みたいなのがいっぱいあった

夏になると、カタツムリまるけになるんだろうか

毒があるカタツムリもいるって聞いたような・・・

 

 

お天気が絶好調に良くって、海が輝いていた

美しいけれど、当時は米軍がやってくる脅威の海だったのか

 

 

もっと、誰もいない青空の下、のんびりしていたかったけど、ガマに戻ります

 

 

糸数アブチラガマ

1300円なり

 

 

またしても写真はありません

昨日の20号は、平面的で人が掘って作ったガマですが、糸数のは自然の鍾乳洞のような洞窟が、縦に伸びているものです

昨日とはうって変わった雰囲気に、またしても圧倒されました

 

まず、ガマの一番端のエリア

とにかく端にあるので、みだりに人が入れないように、という目的で使用される部屋なのでしょう

これは、初期には司令官のいた、畳付きの部屋

後には、脳傷患者が隔離されていた部屋

どちらも、一般の人々からは隔離しておくという目的に沿っています

オイラ、「脳傷」って何か分からなかった

戦争ノイローゼのことかと思っていたが、帰ってきてから調べたら、脳にウイルスが入る病気なんだと分かった

食べ物も与えられず、閉じ込められていたという

 

次が、破傷風患者のいたエリア

何故、破傷風も一般の人から隔離しなければならないのか?オイラには分からない

 

このふたつの病気のエリアの前で、兵士が入れないよう、出られないよう監視していたという

 

反対の端には、韓国人の慰安婦がいたエリアがあった

時間つぶしに読んでいた、受付に置いてあった本の中に言及されていたような気がするが、この部分はしっかり読めていない

韓国人の慰安婦

どういう位置づけなのか、オイラはまだリサーチしていない

今後の課題だ

 

愛知県出身の兵士の話を聞いた

破傷風だったが、奇跡的に治癒して生還したという

動くことができなかったが、偶然、爆風で井戸の側に飛ばされて、水を得ることができて元気を取り戻し、

さらに、リンゲルやカンフルを見つけて飲んで、回復していったという

リンゲルはいいとして、カンフル飲んで大丈夫なのか?

謎のひとつである

 

今回、ガイドさんの予定が立て込んでいたせいか、慰霊碑や家畜飼育所は見ていないことに、後で気が付いた

 

Nバスが11:30に出るというので、大急ぎでバス停まで走る

 

南条市役所まで300円

 

市役所の食堂も、コンビニもあいにくの休み

なので、5分位歩いてコンビニまで買い物に行く ランチ715円

しばしの休憩

 

12:30のバスに乗り換え、斎場御嶽(せーふぁうたき)に12:48着 

 

地元の人は、かっこよく「せーふぁ」と短縮形で言っていた

「うたき」とは聖地の意味

せーふぁは、琉球王国最高の聖地だという

 

バスの中から、ビーチが見えた

 

 

暑いなあ

鼻の頭がひりひりする

 

 

ウローカーへ続く階段

誰も行っている様子がなかったので、オイラもパスしてしまったが、後で行っとけばよかったと後悔

首里を出発した一行は、まずここで、みそぎをして清めたという

 

 

道は滑りやすい

 

 

ユインチ(「豊穣の満ち満ちた所」の意)

 

 

三角形の突き当り部分が、サングーイ

 

 

確か18個あるという香炉

だけど、実際の数は違うらしい(多分)

この岩の上が、チョウノハナ

 

 

そして、久高島

神の島

この島の白い砂を持ってきて、道にまいたらしい

だから、真夜中の儀式でも、ちょっとは道が白く光って歩きやすかったらしい

 

いつか、久高島も行って見たいね

 

 

チョウノハナでは、何か聖地のエネルギーというかパワーがあるので、植物の根も真っすぐ下に伸びるのではなく、重力に抗して伸びている、という

 

 

二本の鍾乳石から滴り落ちる「聖なる水」を受けるための、壺ふたつ

儀式の最後に、三度、この水を額につけるらしい

 

 

三葉虫の化石

こんな山の上でも、かつては海の中だった!?

 

 

と、いうような説明は、偶然ガイドさん御一行の後ろになった折に聞いたものです

ガイド料2000円は、オイラには高いわあ

英語ガイドなんで、日本人のオイラは分かっていないようなふりをして聞いていたさ

だから、間違った情報だったら、それはオイラの語学力がないせいなので、ごめんよ

 

 

帰ってきた

14:45分発のバスまで、まったり

 

 

16時位に、バスターミナルに戻って来た 850円なり

まだ、陽も高いので、波の上宮方面を目指す

対馬丸記念館に間に合うかもしれないし

 

中国様式のお寺?

熱心に参拝する方々が、沢山みえた

対馬丸は、この辺から向かえばよかったのに、迷子になったんですね、いつもの如く

 

実は、この旅で初めてグーグルマップをダウンロードしてきたんです

maps.me よりも容量が少なくて済む、という口コミを読んだんで、グーグルまっぷにしたんだけど、オイラには手ごわいんだな、これが

GPSがうまく働いてくれなかったりして

 

まあ、とにかく、対馬丸は断念です

 

 

波の上宮に着いたよ

 

 

何で、こんなに参拝者が多いのでしょう?

 

 

何だか、中国様式?

絵馬は、中国語が多くて、日本語は数えるほどしかなかった

 

 

何で、明治天皇の像があるの?

帰ってから調べてみたところによると、

戦争でボロボロになり、その後も日本政府とある意味戦わなければならなかった沖縄の人たちにとっては、明治天皇の姿勢は理想となるものであったらしい

 

 

波の上ビーチでは、足を海につけて遊んでる若者がいた

学校帰り?観光客?

 

 

対馬丸記念館を見つけたのは、5時近くで閉館

 

 

帰りに、念願のソーキ蕎麦650円

ヨモギの葉っぱをのっけて

 

 

その後、バスターミナルの待合場で、かっぱえびせんとビールをぐびぐびやって、一日の思い出にふけりましたとさ

那覇 Day2

那覇 Day2 

今日の目標は

 

① 南風原文化センター&陸軍病院南風原壕群20号

② 識名園

③ 首里城

 

まず、ホテルの朝食バイキング600円

 

 

ちょっと、オイラには塩辛かった(あくまで個人の感想です)

沖縄コーヒーみたいなのがあったが、ちょっと馴染みのない味だった

コーヒーって、慣れた味で1日がスタートするきっかけみたいなもんなのよね

(あくまで個人の意見です)

決してまずい訳ではないです

なんだか、自分の習慣に固執する年寄りみたいなこと言ってますね

だったら、コンビニ・コーヒー飲んどけって話です

この日は寝不足で、新しい味に適応する余裕がなかった、と思っておきましょう

 

① 南風原文化センター&陸軍病院南風原壕群20号

 

8:23発のバスに乗ります

30分ほどで兼城十字路で下車 340円

15分ほど坂を上がって、南風原文化センターに到着です

 

 

ここから、「飯上げの道」を上がっていきます

女学生達が炊いたご飯を、壕内の傷病兵に届けた道です

攻撃される中、この道を通るのはかなり危険だった(最も危険な仕事だった)といいます

沖縄は5月から6月まで1か月半、梅雨です

雨の日、舗装されていない山道を登っていたとは

 

 

当時、この葉っぱで、尻をふいていたんですって

 

 

木の名前のカードがついていた

最初はいちいち読んでたけど、多すぎてだんだんスルーするようになった

 

 

ヒラミレモン

シークワーサーはこの木になるらしい

 

 

到着

街が見渡せる広場

 

 

ここでガイドさんと待ち合わせ

20号見学は300円

 

 

気がつけば1時間もオイラひとりのためにガイドして下さいました

始めての戦争遺跡見学だったせいか、それに加えてガイドさんもとても上手な方で、カメラを取り出す気にもならなかった程に引き込まれ、写真はありません

人を褒めることがあまりないオイラが言うんですが、戦争の在り方、沖縄について、そして現在の社会情勢についても、素晴らしくよく考えていらっしゃる方でした

この方に会えて、オイラはラッキーだったと思います

 

 

戦争って、誰と戦ったのだろう?

アメリカ兵に殺されるだけではなく、重症兵は味方であるはずの日本軍にも殺された

限られた水や食料を、周りの仲間と分け合って生きた

自分が多く取れば、人が少なくなる(人に取られれば、自分の分がなくなる)

 

人生って、何と戦っていくんだろう

 

ガイドさんの終わりの言葉「どうぞ時間を有効にお使いください」

オイラは、限られた時間の沖縄滞在のことを思い、これからの限られた人生の時間を思い、そして浪費してしまったこれまでのアホな人生を思った

 

 

オイラは幸せだ

戦争のない時代に生まれたのは、ものすごい偶然の産物

 

壕の中に、朝鮮人の兵士が刻んだ文字があった

彼はどのようにして沖縄で兵士になったのだろう

怪我をして、どんな気持ちで「姜」の文字を彫ったのだろう

軍隊では共通の言語が大切、というのを言語学の授業で聞いた気がするが、

この朝鮮人の兵士は、日本語が分かったのだろうか

朝鮮から沖縄へ移住して来たのはいいが、戦争という運命に巻き込まれてしまったのだろうか

日本軍の中で、朝鮮人はどのような位置づけだったのだろう?

日本はアメリカにやられたけど、日本も他の民族を傷つけたこともあるのだ

日本人は、国のためにアメリカと戦ったが、朝鮮兵は何のために戦ったのだろう?

モチベーションはあったのだろうか

ただ、戦場に連れて行かれただけなのだろうか

戦争に参加せざるを得なかったのだろうか

積極的に参加したのだろうか

 

ガイドさんは沖縄生まれで、オイラが読めないような漢字の苗字の方だった

それなのに、沖縄戦について学校で教わったことはないとのことだった

自分で調べるとか、考えるとかいうのは、いつの時代、どんな政治体制の中でも重要なことだと思った

 

・・・だから、チビチリガマのようなことが起こったのかとも、少しつながった

沖縄生まれの少年たちが、地元のガマの悲劇を知らないなんて、嘘も方便ではないか?とも思っていたのだが、本当に知らないということがあるのだ

チビチリガマについては、Day4 でレポートします)

 

そして、沖縄の人たちが口を閉ざしてきた、その気持ちは、オイラには想像に余りある重い物だったのではないか?と勝手に想像したのだが、どうなのだろうか?

 

再び「飯上げの道」を戻って、文化センター見学 300円

 

 

アウシュビッツ型のベッド?に負傷した人たちの人形が展示してあった

カニューレの入った(気管切開した)人もいた

湿度の高い密閉された壕の中で、どんな匂いがこもっていたか

現在の職場の、とある病棟の匂いですらオイラにはキツいのに(職業意識なさすぎ)

というか、軟弱なオイラには耐えられない物がいっぱいありすぎる

 

1時間ほど見学しました

 

インドからの見学者グループが来ていて、通訳さんが説明してるのをついでに聞けて、これまたラッキーだった

インドの人たちの視点からの質問も、日本人にはないもので興味深かった

それにしても、インド英語は聞き取りにくくて、オイラ、自分の英語力に自信をなくしたよ 泣

 

外の世界は、美しかった

戦争がなければ、沖縄はただの、自然が美しい温かい土地だった

 

ろくでもないオイラは気弱になり、今日の名前も覚えていないガイドさんに、またいつか会いたいとまで感じた

知りたいことが沢山あるように感じた

でも、オイラが仕事の休みを取って、また沖縄へ行って、この不便な場所まで行って、このガイドさんに再会する、なんてことは、勿論ありえないだろう、ということは分かっている

一期一会

という人の命のはかなさを教えてもらった

 

 

② 識名園

 

バスが1時間ほどもないらしいので、歩きます

1時間も坂を上がったりして、皮膚がじゅうじゅういった

オイラの肌は軟弱さ

 

やっとバスをつかまえて、識名園へ向かう

 

バスの中から、こども医療センターが見えた

現代医療って素晴らしいなあと思った

かつての薬は高官だけのものだった(下級兵士には薬は回ってこなかった)時代からすると、現代はもっといい薬がもらえる

差別区別なく(とりあえず)、今の医療を受けられる子どもたちは、きっと治癒する、とオイラは自分勝手に思ったよ

 

 

12:50 識名園に到着 400円

木陰が気持ちいい

沖縄での、ひとつ目の世界遺産に入場します!!

 

 

奇妙な形の、

(オイラが見慣れてないだけで、「奇妙」という言葉を使ってもいいのか?)

改め、異国情緒たっぷりの木立を抜けていく

 

 

通用門

 

 

確か、正門

あんまり大きさは変わらない

 

 

確か、権力者が乗ってきた輿を収納しておく小屋

「番屋」というらしい

 

 

石灰石の石畳

ここを、高貴な人たち(王家一家とか、中国からの来賓?)が、何かの乗り物に乗って通っていったのね

 

 

風景がひらけて、庭園に着いた

 

 

御殿(うどぅん)の中も見学することができる

それにしても、漢字が読めん・・・

 

 

池の中の、「六角堂」というあずまや

屋根の形や、黒い瓦が中国風

 

 

琉球石灰岩の橋を渡る

 

 

六角堂から、うどぅんを見る

 

 

「回遊式庭園」日本の大名が作った造園形式と、中国風あずまや

それに琉球石灰岩

3つの文化が入っている?!

 

 

六角堂を通して御殿を見る

 

 

春は梅林

夏は藤

秋は桔梗

 

季節を感じるように作ってあるのは、さすが日本的な心意気?

 

 

 

根っこが面白い木

マングローブではないから、気根ってやつではないよね?

生物も、いちいち心ときめくわ

日本にいながら、異文化や亜熱帯?の自然を実感できて、沖縄に来て良かった、と思う

これまで、何で寒いとこばっかり旅行してたんだろう?

 

 

ここにも、ガマがあったらしい

歴史は、時間は、場所に繋がっている

そして、今ここにいるオイラにも

 

 

戦争で破壊されたけど、20年かけて、8億円かけて蘇ったという

ただ、美しい、というだけでは済まない凄みを感じた

過去を踏まえて、そしてこれからの未来へ進んで行こう

 

③ 首里城

 

識名園を出て、首里城方面に、徒歩で!向かう

 

 

石畳の道へ向かって坂を下る

 

 

結構の急坂なのよ

足底筋膜炎が再発した感じで痛む

種子骨が痛む

足の裏が、まったいらになった感触がする

やばいやばい、帰ったらアイシングをしよう 泣

 

 

休憩所に着いた

 

 

樹齢300年という、大アカギ

古い木には、なにかパワーがある、ということを最近感じるようになった気がする

オイラ、霊感とか気配とかいうものを信じて来なかった人間なのにさ

自然の持つ、不思議なエネルギーやパワーを、畏れ多く感じるようになってきた

年取ったのかね?

 

 

おしゃれなカフェ

心地よいBGMが聞こえてきた

外から見るだけね

 

 

更にさらに、石畳を登ると!

 

 

守礼門

いよいよ、首里城

ふたつめの世界遺産です

 

 

歓会門!

 

 

門の前のシーサー?

 

 

門がいっぱいある

 

 

そして、ついに火事にあった首里城が!

 

 

今だに、テレビクルーみたいなグループが3つ位、来ていたよ

 

 

赤と黒コントラストは、本来のものではない

修学旅行生みたいなのが、「あ、これ写真撮る!」とか言うのは、地元の人には聞かせたくない言葉だった

 

 

ぼへっと立ち尽くして見ていたら、観光客に押されて、階段でよろけてしまった

オイラ、人にやられるタイプだ

戦争になったら、なけなしのおにぎりを取られてしまうタイプだ

 

 

見られる所は一回りしたと思ったので、次はみっつめの世界遺産

玉陵(たまうどぅん)

に向けて下りていきます

 

 

たまうどぅん 300円なり

 

16世紀に築かれた墓です

ふたつの入り口?を通って入っていきます

 

 

光線が良くなくて、写真ではよく見えないけど、墓室は三つの部分からできています

 

東室:王と王妃が埋葬されている部屋

中室:遺骨を洗い清めるまで、死後、数年安置しておく部屋

西室:王子や王女が埋葬される部屋

 

建物の上には、獅子が乗っています

 

何か、荘厳な雰囲気がありました

 

さすが世界遺産は、良く分らないけれども、心を殴られたような衝撃を与えた

オイラが、歳をとったから?

やっと、少し物が感じられるようになった?

きっと、これまでの享楽的な物を考えていないオイラだったら、何も感じなかったと思う

 

 

ところで!

世界遺産を見終わった時、何か忘れているのに気が付いた

もう一つの世界遺産

園比屋武御嶽石門(そのひゃんうたきいしもん)

 

守礼門まで引き返し、記念撮影用に赤い衣装を着ていたお姉さんに、場所を聞いた

なんと、右手の赤い門に気を取られていてスルーしていた、地味な門が左手にあったのです

 

 

ああ、良かった

気が付いて、引き返して良かった

 

それにしても、オイラはアホだ

世界遺産を目の前にして、素通りするなんて

オイラの審美眼は、全くあてにならない

 

でも、多くの観光客もスルーしているようだった

赤い衣装のお姉さんは「みんな、そのひゃんうたきを通り過ぎてる」

もう一人の赤いお姉さんも「赤い門に気を取られてきがつかないんだねえ」

と会話していたから

予習してから旅をする重要性を肝に銘じた、オイラだった

 

あらかた、本日のコースを終えたのだが、あと一つ見たい物があった

第32軍司令部壕

そのひゃんうたきを通り過ぎて、左手に折れると、首里公園に入る

すると、ばったりと壕に出会うことができた

 

 

本当に「ばったりと出会った」というのがぴったりの表現で、いつも道に迷うオイラにしては苦労せずに行き当たった

まるで、死は突然現れるかのように

 

赤いコーンで通行止めがしてあって、白い木が立てかけてあって、ほぼ朽ちかけて字も消えかけているが、「第32軍司令部壕」のような文字が読めた

 

 

暗く湿って、何だか得体のしれない虫が飛んで出てきた

得体のしれない恐怖で、オイラは逃げるようにしてここを後にした

 

弁財天堂を見ました

オイラが見たこともない、白と黒のまだらの水鳥が沢山いた

一羽が、怖ろしいまでにオイラに近寄ってきて、眼光鋭くオイラを見た

死の世界から出てきた、生きているオイラを出迎えるにうってつけの生き物に見えた

 

 

円覚寺です

 

 

足の裏が、ぺったぺたに痛くなってきたので、もう帰ります

バス停へ行くと、丁度地元のおばさんがいたので、世間話をしました

 

小さい頃、首里城で遊んで育ったとのこと

首里城が燃えてしまったので、涙が止まらないとのこと

心が痛くて、まだ首里城に近づけていないとのこと

 

オイラには、計り知れない喪失感を味わっているのだなあと思い、何と言ったらいいのか分かりませんでした

 

無関係なオイラでさえ、首里城ノートルダムが燃えた映像を見て、しばらくの間、動揺が続いたものだった

なぜだろう

何かが燃えることは、何か異様な感情を引き起こす

 

納屋を放火する小説があったなあ

 

中学の時読んだ、芥川の「地獄変」という短編を思い出した

絵師が、自分の娘が焼き殺されるのを見て、傑作を書く話

 

大きい物をなくして、そして新たな物を得る

しかし、それは人生の破滅を意味する

 

バスに乗って 240円

 

うまく整理しがたい動揺のまま、ゲストハウスへ到着し、チェックインする

1700円×3泊=5100円

 

 

腹が減っていたので、足が痛いけど、沖縄っぽい物を食べたくて出かけた

いつのまにか6時

 

 

海ブドウ

となりの透明な液体に、刺身的につけて食べていたが、実はこれはサブっと海ブドウにかけていいのだ、ということを後から知った

結構、おいしかった

ここのが旨いのか、どこで食べても旨い物かは、まだ不明

 

 

そーめんちゃんぷるー

脂っこかった(あくまで個人の感想です)

焼きそばみたいに、野菜や肉を入れて炒めてくれよ、って思うのは邪道?

 

 

 

てびち

外の皮はパリパリ、中は熱々の脂身

一個目、これは美味しい、と思った

竹富島で、豚の美味しいことと言ったら!的な文章を読んだのを思い出した

確かに、食べ物があまりない時にこれを食べるのは至福だろう、と実感した

ところが、2個目になったら、脂っこくって辟易するまでになってしまった

・・・誰かと二人で行って、一個ずつするのが本来なのかな

おひとりさまをこよなく愛するオイラには、関係のない話です

 

一人旅って、楽しい

 

 

おひとりさま沖縄宴は2600円なり

 

あとはゲストハウスに帰って、シャワーして、寝ます

皆さん、静かに寝ましょうね

 

 

 

那覇 Day1

 那覇5日旅

 

はい、格安パッケージツアーポチってしまいました

那覇往復1泊付きで、23200円です

成田往復バス 6200円で成田空港へ

珍しく定刻で離陸

さらば、本州!

解放感からか、夜景が素晴らしく輝いていた

 

 

那覇には、ほぼ真夜中に着いたけど、国際通りは若者でにぎわっていた

若いっていいねえ~

(オイラのいる場所じゃない)

眠くてよろよろしつつも、1泊目のホテルに到着

値段が分からないんだけど(ツアーについていたから)

また泊まりたい度 ☆☆☆☆☆(★がいっこもない)

つまり、もう来ることはないだろう

 

 

閉塞感、半端ないの

 

 

でも、バスタブついてたから、足を延ばして入った

 

 

寒くて、よく眠れなかったよ

石垣島 会計報告とまとめ

 会計報告

 

さて、パッケージツアーで出発した石垣島ですが、西表島竹富島がメインとなりました

トータルでいくらかかったのか?を計算したいと思います

 

1日目

ツアー代(航空券+1泊) 12800

バス往復 6200

うどん 610

バス 540(LCCが時間通り到着していたら必要なかった)

計 20150

 

2日目

フェリー往復 4570

ツアー 10000

民宿 4500

夕食 1500

計 20570

 

3日目

朝食 500

クルーズ 2200

ゴーヤチャンプルー 990

バス 220

夕食 1500

計 3910

 

4日目

フェリー往復 1340

ソーキ蕎麦 880

サンドイッチ 400

ソーキ蕎麦 750

計 3370

 

4日間のトータルは、48000円

ずっと、石垣島にいれば、またツアーに入らなかったら、かなりの低額だったでしょうが、でも離島経験ができました!

 

オイラのヒットとしては(順不同)

西表島

カンピレーの滝

星砂の浜の、白いサンゴや砂 そして食堂のおばちゃん

初めて見た、マングローブ

超自然を感じた星空の下の漆黒の夜

 

竹富島

日差しとハイビスカスやブーゲンビリア

色んなシーサー

異文化を感じさせる家々だけど、まだそういう家で実生活を営んでいる人々

 

ぜひぜひ、また行きたいものです

母を連れて行ってやりたい

 

 

石垣島 Day4

竹富島

 

今日は、石垣島へ戻ってから、すぐに竹富島へ向かいます

そして、いよいよ旅を終えて帰るのです

 

ところで、何と!!

オイラの一番のオキニの、竹富島の写真がほぼ消えていることが判明!!

竹富島の写真はいっぱいとったのにさ・・・

オイラのミスです

 

・・・でも、しかたありません

いつか、海外旅行へ行った時の、写真の扱い方の勉強だと思っておきます

くすん

 

さあ、気を取り直して!

8時に上原港から石垣へ向かいます

今回は、無事に上原港は機能していて良かったです

 

9時半発の竹富行きのフェリーまで、少し時間があった

でも、オイラ、宿の人のアドバイス

「竹富には、おいしいものいっぱいあるから」

という言葉を信じ込んで、港で何にも朝食を買わなかったんです

 

しかーし!

実際、島についてみると、えらいことになったのよ

 

島に来ていた観光客のおっさんと話す

「お弁当、持ってこなかったの?」という驚きの表情に始まり、

「今日、日曜よ?」と呆れられ、

「まあ、金さえ出せば、美味しい物もあるのかもね」

という結論を出された

 

なんでもいいが、オイラは腹が減ったわ

 

資料館に置いてあった、竹富の食べ物の本にあったエピソード

コウモリをはたき落として食べる、とか

豚の油のぷちぷちがたまらない、とか

やたらと、共感しながら読んだわ

 

食べ物って、ありがたいものです

 

写真は、何とか生き延びた写真2枚です

むちゃくちゃ美しい

天気もいいし、海も、凄まじく美しい

・・・他の写真も、すてきだったのよ・・・

 

 

星砂は、西表で見たから、もう太陽の下でクラクラしながら探したりはしない

ゆったりと時間を過ごしました

 

 

3:20発のフェリーで、石垣に帰りました

また、ゆっくり来たいものです

 

石垣に着いたら、すぐにコンビニのサンドイッチとチョコ・クロワッサン(いつもなら、こんなチョコスペシャルはしないんだが)を、がっついた

 

バスに乗って空港へ

 

空港では、別れのそーき蕎麦をがっついて、やっと人心地ついた

本当は、アイスも食べたかったが、空港価格なので我慢した

(この我慢が、帰ってからのアイス、パフェ等の食べまくりにつながった)

 

案の定、LCCは遅れたが、無事に帰ることができた

 

結論! また竹富島に行きたい

種取祭も、出来たら見てみたい

竹富島の文化を知りたい!!

写真が消えてしまったのは、また来る!っていう運命なんだって思う!?

 

 

石垣島 Day3

西表島 3日目

 

ヤギは、1頭ずつ、小屋を持ってるのね

小屋の中に入っているヤギ、分かりますか?

草は少ないけど(空腹でいら立っているみたいだけど)、屋根の下で寝られる境遇

 

 

さあ、今日も楽しむぞ

 

 

昨日ガイドをしてくれた、お兄ちゃんが厨房にいた

いろんな仕事をするのね

 

朝食は7時半から

オイラひとり分が、広い食堂にポツンと用意してあった

500円なり

 

 

9時20分の上原港からの送迎バスに乗るため、港まで歩きます

浦内川遊覧船 2200円に乗るのでっす

 

送迎バスの中から、カンムリワシ発券

電柱のてっぺんにとまっているのが分かりますか?

(写真が分かりにくいのよ)

西表島石垣島にしかいないそうです(ガイドブックより)

 

 

こちらのバス停って、赤い屋根なのね

雰囲気あるわあ

 

 

船の乗り場に着きました

(写真ボケてるけど)

 

 

10時半の出発なんで、また時間を持て余してウロウロする

何て奇麗な景色!

十分に時間を過ごせる

天気とか気温で、こんなにも印象が変わるなんて、人間って悲しい

(昨日は、惨めな気持ちだった)

 

川幅は広くて、きらきら輝いている

(昨日のマングローブ川は、川幅が狭くって、どんよりしていた)

こういう川も、同じ島にあるんだ、ということを知れてよかった

昨日で石垣に帰っていたら(余程キャンセルして、石垣に帰ろうかと思った、正直)西表の川は、狭い、濁っている、という思い込みだったかもしれない

何事も、決めつけることや、一般化には注意したいものです

 

 

川にかかっている橋を、一往復した

 

 

橋の向こうには、展望台があった

マングローブ林が広がっていたよ

 

 

さて、満を持して、クルーズ船は出航です

 

 

滝を目指して、歩きます

 

 

展望台があった

リュウドの滝で、日本の滝100選のひとつらしい(ガイドブックより)

 

 

二つ目の滝

カンピレーの滝

「神々が座るところ」の意味らしい(ガイドブックより)

オイラは、こちらの滝の方が好きだな

高低差のある滝というより、川幅の広い崖を、大量の水が押し寄せている感じ

何故、オイラはこれに心を惹かれるんだろう?

 

 

さて、引き返します

1時のフェリーに乗らねば

 

 

何とか、間に合った・・

ツアーで来てたYoutuberの中国人カップルが、笛まで吹いて撮影に熱中していたが、案の定、ツアーからはぐれたらしく、ポツンとフェリーに乗っていたが、たくましく帰りも撮影に熱中していたよ

人は逞しくならなければ生きていけない

 

 

さて、帰りも港までの送迎車に乗ったんだけど、星砂の浜で下ろしてくれるように頼みました

 

 

お腹がすいたので、食堂でランチ

ごーやちゃんぷるー

素朴で、大盛りで、いい感じ

 

 

人心地着くと、浜に降りて行きました

 

 

オイラの中では、ナンバーワンの美しいビーチです

 

 

日差しがきつかったけど、真っ白なサンゴや、貝や、星砂を拾って遊びました

 

 

海の側には、お墓があるみたい

沖縄のお墓って、大きいのね

戦争中は、お墓の中に入って避難した人もいたらしい

だけど、地元の人は兵隊に追い出されてしまって、逃げまどって命を落としたという事実もあるらしい・・・(帰ってから、沖縄の本を読んだのよ)

 

 

帰りは、路線バスの時間まで待って(一日4便しかない)ゲストハウスまで帰る

 

あとは、近辺を散歩

沖縄の桜みっけ!

ソメイヨシノと違って、色が濃い

 

 

夕食の時間までに帰ります

広い食堂にオイラひとり

他の人、どこで何食べてるんだろう?

 

石垣島 Day2

西表島へ行く

 

ホテル前のコンビニで、サンドイッチとヨーグルト384円を買ってきた

ホテルでコーヒーを頂いて、至福の朝食タイム

 

石垣港までは歩いて10分程度

役場?の前では、若くてかっこいいお兄ちゃん(市の職員?)が掃き掃除をしていた

何て、爽やかなんでしょう

オイラの居住地では、こんな光景は見られないと思うよ

心が温まるなあ

人びとは、日常の仕事をしているだけなのに、オイラの心はトロピカルになっている

大丈夫か?オイラ

冷静になろう、と自分に言い聞かせる

 

今日参加するツアーの方から、8時半の石垣港発のフェリーに乗って、石垣島の上原港に来るようにという指示があったんですよ

石垣島には、上原と大原という港が二つあるんです

ところーが!

風が強くって、上原行きは欠航!というではないですか

パニったオイラは、ツアー会社に電話するも、留守電で通じない

うろたえたオイラに同情してか、フェリー券売り場のお兄ちゃんが、ツアー会社のHPをチェックしてくれて、大原港まで迎えはないので、大原からのフェリー会社の送迎バスに乗って上原まで行けばいい、ということを教えてくれた

フェリー往復で4570円

 

不幸中の幸いで、バスの中から、島のおおよその雰囲気と地理感を得ることができた

 

お陰様で、無事にツアー会社(民宿と一体型になっている)まで、一時間遅れでたどり着けた

ガイドのお兄ちゃんとも会うことができた

 

 

 

 

さて、ツアー10000円の始まりです

 

まず、お兄ちゃんの運転で10分位、車で移動し

(車の鍵はかけていなかった

車泥棒やっても、島から出られないから、鍵は必要ないらしい)

 

次にカヌーに乗って、マングローブの川幅の狭い中を進んで行きます

 

オイラ、若かりし頃、カヌーマラソン大会で3位という、昔取った杵柄があるんで、楽勝です(というか、当時は女子の参加者が3名しかいなかったのさ、つまり最下位ってこと)

 

上陸すると、サキシマスオウの木

(1本目を見た時は驚いたが、だんだん慣れていった、人間のさがね)

昔は、これでまな板とか作っていたらしい(ガイドブックより)

 

 

貸してくれたマリンブーツで、トレッキング

ピナイサーラの滝の上に着いた

「ひげのような」という意味らしい(ガイドブックより)

森やら海やらが一望できた

ただ、西表島にしては寒くって、手放しでいい景色!とはならなかった

心の目で見よう

 

 

他の会社からのツアー客がちらほら

みんな、ソーキ蕎麦を作ってもらって、おにぎりみたいなのを与えられていた

 

 

穴ぼこが空いている岩

ポットホール」という、水の流れでできた穴らしい(ガイドブックより)

他社のガイドさんが、川エビを捕まえて見せているのに便乗して、オイラも見に行った

どこにいるのか、写真では見えないね

 

 

うちのガイドさんが作ってくれたソーキ蕎麦

 

 

食べたら、再びトレッキング

 

滝つぼへ

だけど、寒い

ここで泳ぐんでなければ、時間はつぶせない

やることがなくて、オイラの方から「もう帰ろう」と言ってしまった

 

 

来た道を引き返し、カヌーを漕いで、帰ってきました

冬だし、特に動物がいるわけでなし(アメンボはいた、チョウもちょっと見た)

トカゲとか、カメとか、カニは見られなかった

でも、憧れのマングローブの中をカヌーで進めたわ

帰ったら、動植物についてリサーチしよう

 

もし次回やることがあったなら、もっと暖かい季節に、自分ではできないアクティビティに参加したいな(トレッキングはもういい)

 

 

さっさと進んだので(オイラ、カヌーは得意だし、元山岳部員だし)

えっらい早く宿に着いてしまった

 

何だか、ツアーの終わりに、写真のCD‐Rをくれるとかくれないとかいう話もあったが、くれなかった

別に欲しいわけじゃないからいいんだけど

 

素泊まり4500円

さっさと風呂に入った

新館の方にはバスタブはあるらしいが、本館はシャワーのみ

 

 

時間を持て余したので、宿の庭へ散歩に出る

 

 

民宿売りのハンモックだが、寒いし修理中みたいなんで、よじ登ったりしなかった

 

 

ヤギが飼われていた

最初は感動したが、すぐに見飽きた

ここのヤギは草を食べつくして空腹になっていたのか、攻撃的に突っこんで来やがった

ヤギって、特別な日の御馳走って、本に書いてあったけど、この子も食用なのかな

(沖縄で、ヤギが逆さ釣りにされて、食用っぽくされている写真を見たような)

 

ところで、キリスト教圏では、ヤギって悪魔の使いとか言われてるのよね

実物にお会いして、何となくわかったような気がした

目つきがまがまがしいし、

鳴き声が、めぇぇぇ・・・という、何とも気味が悪い、絡みついてくるような声である

子ヤギがかわいい・・とかいうアニメは、もう信じられなくなったわい

 

 

港方面に歩いた

 

 

港から海を臨む

曇りだからなあ・・・

 

 

くねくねの木

 

 

お花も、気前よく咲いています

 

 

うわー、なんというローカル感

個人名を出すなんてこと、うちの地域では絶対ないだろう

 

(さらに驚いたことには、新聞の1ページ全体に、特別支援学校40周年!みたいな記事が、恐らく生徒たち全員が集まった写真と共に載っていたこと

八重山の人は、全員がお知り合いなのではないだろうか)

 

 

夕食は新館で、6時半から、とのこと

時間を持て余して、6時から食堂をうろうろしてましたわ

 

 

ちなみに、これが新館

お洗濯が干せて、ハンモックがついているお部屋もある

 

 

誰もいない食堂

(本館の宿泊客は、オイラひとりだった)

 

 

黄昏てくるわ、腹は減るわ・・・

でも、海が見れていい感じ

 

 

約束の6時半過ぎても、食べさせてもらえない

宿のスタッフが、オイラの夕食で、ブログ用の写真をネチネチ撮っていた

写真を撮り終わるまで、「ちょっと待ってくださいね」とお預けをくらった

6時から待ってんのにさ・・・

夕食1500円なり

泡盛は飲み放題

 

オイラの夕食は、ブログ用の写真をとるために作っか?

冷めようが、ほこりが入ろうと、約束の時刻を過ぎていようと、客を目の前で待たせていようと、写真を撮るのか?

客に美味しく食べてもらおうとというより、自己満のブログ作成のために料理してんじゃないか?

 

後でネット見てみたら、オイラの夕食で素敵なブログができていた

これにひっかかって、ここの夕食をオーダーする客がいるんだろうね

ネットの功罪だ